入居者が施設に入るとき、賃貸借契約は誰が解約するのか——本人が手続きできない場合の実務

ある日、入居者の娘さんから電話が入ります。「父が入院して、そのまま特別養護老人ホームに移ることになりました。部屋を引き払いたいのですが、本人はもう手続きができません」。

この局面は、実務でかなりの頻度で起きます。そして、亡くなった場合ほど手順が知られていません。孤独死や死後の残置物については国が資料を出していますが、「本人は生きているが、判断も手続きもできない」という中間の局面は、そこから抜け落ちています。

数の裏づけもあります。最高裁判所事務総局家庭局「成年後見関係事件の概況」(令和6年1月〜12月・令和7年3月公表)によれば、成年後見等の申立ての動機として「介護保険契約」が18,623件・44.7%、「不動産の処分」が14,990件・36.0%を占めています(終局事件総数41,620件・主な動機が複数ある場合を含む集計)[3]。施設への入所と、それに伴う住まいの処分は、後見が申し立てられる主要な入り口のひとつです。

この記事では、施設入所の連絡を受けた賃貸オーナー・管理会社の立場から、誰が解約できるのかを代理人・成年後見人・任意後見人の3つに分けて整理します。個別の事案では判断が分かれるため、実際の対応にあたっては顧問弁護士等への確認を前提としてお読みください。

入居者が施設に入所したら、賃貸借契約は自動的に終わるのか

結論から言えば、終わりません。

賃貸借契約は、賃借人がその部屋を使わなくなったからといって自動で終了する仕組みにはなっていません。国土交通省の賃貸住宅標準契約書(平成30年3月版)でも、賃借人の側から契約を終わらせる方法は第11条(乙からの解約)に置かれ、「乙は、甲に対して少なくとも30日前に解約の申入れを行うことにより、本契約を解約することができる」と定められています[5]。つまり、誰かが「解約する」という意思表示をしない限り、賃料は発生し続けます。

ここが最初のつまずきになります。施設への入所は本人・家族にとって大きな出来事で、部屋のことは後回しになりがちです。連絡が来た時点で1〜2か月ぶんの賃料がすでに動いていることも珍しくありません。管理会社としては、まず「いつの時点で解約の申入れがあったことにするのか」を確定させる必要があります。

なお、終身建物賃貸借の認可を受けた住宅であれば、契約の終わり方そのものが一般の賃貸借と異なります。その枠組みについては終身建物賃貸借の認可が事業者単位になった:申請事項・住宅の届出・解約の条件で扱っています。

逆に、入居者側の事情ではなくオーナー側の都合で契約を終わらせたい場合は、更新拒絶と正当事由という別の枠組みになるため、高齢の入居者に退去してもらうことはできるのか——更新拒絶・立退きの正当事由を借地借家法から読むを参照してください。

家族から「代わりに解約したい」と言われたら応じてよいのか

次に、誰の意思表示なら受け取ってよいのかを見ます。

賃借人本人に判断能力が残っているなら、家族が代理人として解約を申し入れること自体は成り立ちます。この場合に管理会社が確認するのは、次の2点です。

  • 本人が代理権を与えたことを示す書面——委任状。誰に、何について(この賃貸借契約の解約と明渡し)委任するのかが特定されているか
  • 本人の意思で作られた書面かを確かめられる材料——本人の署名、本人確認書類の写し、必要に応じて本人への電話確認

問題は、本人がすでに判断できない状態のときです。判断能力を失った人は、有効に代理権を与えることができません。この状態で作られた委任状を根拠に解約を受け付けると、後日、後見人や他の親族から効力を争われる余地が残ります。

ここで管理会社が置かれる立場は難しいものです。家族は善意で動いており、部屋を早く引き払いたいと考えています。一方で、書面の有効性に問題があれば、原状回復費の精算や敷金の返還先をめぐって後から揉めます。「急いでいるから」を理由に手順を飛ばした場合、そのリスクを負うのは受け取った側です。

判断能力そのものの見極めと、契約行為が難しくなった場合の法的な受け皿については、認知症の入居者にどう対応するか:成年後見制度と意思決定支援の基礎で整理しています。

成年後見人がついていれば解約できるのか——家庭裁判所の許可が要る

ここが、この記事でもっともお伝えしたい部分です。

「成年後見人が選任されました」と言われると、これで解約できると考えたくなります。しかし、居住用の物件については、後見人がついているだけでは足りません。

裁判所の手続案内は、次のように書いています[1]

成年後見人(保佐人、補助人)が、成年被後見人(被保佐人、被補助人)……に代わって、本人の居住用不動産……を処分するには、家庭裁判所の許可が必要です。家庭裁判所の許可を得ないで処分をした場合、その処分は無効となります。処分には、売却、抵当権の設定、賃貸借契約の締結・解除、建物取り壊し等があります。

「賃貸借契約の……解除」が、許可の要る処分として明記されています。そして、許可を得ずに行った処分は無効です[1]

これは貸す側にとって実害のある話です。後見人からの解約通知を受け取り、精算まで済ませたあとで許可がなかったと判明すれば、解約がなかったことになる可能性があります。次の入居者を決めていれば、そちらにも影響します。

したがって、後見人から解約の申入れを受けたときに管理会社が確認するのは、登記事項証明書(後見人であることの確認)だけでは足りず、居住用不動産処分許可の審判があったかどうかまでということになります。

なお、申立てができるのは成年後見人・保佐人・補助人ですが、保佐人および補助人については「不動産を処分する代理権が付与されている場合に限る」とされています[1]。保佐・補助の類型では、代理権の範囲が個別に定められているためです。

施設に入っている部屋も「居住用不動産」にあたるのか

「もう施設に移っているのだから、居住用ではないのでは」——現場でよく出る疑問ですが、答えは逆です。

裁判所は居住用不動産の範囲を、「現に住居として使用している場合に限らず、本人が現在は病院や施設に入所しているため居住していないが、将来居住する可能性がある場合、又は入所前に居住していた場合なども含みます」と説明しています[1]。大阪家庭裁判所の案内も同様に、「現に居住していなくても、病院や施設等を出たときに居住用となる不動産も含みます」としています[2]

つまり、施設に入所しているという事実そのものが、許可を不要にする方向には働きません。むしろ、施設入所を理由に解約するという場面こそが、この許可制度が想定している典型例です。

制度がここまで慎重なのは、住まいを失うことが本人の生活とその後の選択肢に直結するからです。施設に入ったあとで在宅に戻れる可能性が残っている段階で部屋を引き払ってしまえば、戻る先がなくなります。家庭裁判所が処分の必要性を審査するのは、その判断を後見人だけに委ねないためです。

任意後見の場合はどう違うのか

本人があらかじめ任意後見契約を結んでいた場合は、枠組みが変わります。

法務省の説明によれば、任意後見制度は「本人が十分な判断能力を有する時に、あらかじめ、任意後見人となる方や将来その方に委任する事務の内容を公正証書による契約で定めておき」、その契約は「家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時から効力が生じます」とされています[4]。任意後見人は、その時点から「任意後見契約で委任された事務を本人に代わって行います」[4]

実務上のポイントは2つです。

  • 契約を結んでいるだけでは、まだ効力が生じていない——任意後見監督人が選任されているかを確認する必要があります[4]
  • できることの範囲は、公正証書に書かれた委任事務の内容で決まる——賃貸借契約の解約が代理権の範囲に入っているかは、契約ごとに違います[4]

したがって管理会社としては、任意後見だと言われた場合には「監督人が選任されているか」と「代理権の範囲に賃貸借契約の解約が含まれているか」を書面で確認することになります。法定後見と任意後見では確認する書面が違うため、どちらなのかを最初に聞き分けることが出発点です。

許可の申立てには何が要るのか、どれくらいかかるのか

後見人側の手続きですが、貸す側が段取りを組むうえで知っておくと見通しが立ちます。

裁判所の案内によれば、申立先は後見開始等の審判をした家庭裁判所、申立手数料は収入印紙800円分で、標準的な添付書類として処分の必要性を証する資料(契約書の写し等)と、処分する不動産の登記事項証明書等が挙げられています[1]。大阪家庭裁判所の案内では、賃貸借契約の解除で本人が借主の場合の添付書類として「解除の対象となる賃貸借契約書のコピー又はこれに準ずる書面」が示されています[2]

この1点は、貸す側が直接関係します。後見人が申立てをするには、賃貸借契約書の写しが要ります。原本を本人が保管していて所在が分からないことは珍しくないので、管理会社の側で写しを速やかに出せるようにしておくと、手続きが止まりません。

時間の見通しについて、大阪家庭裁判所の案内は「処分申立てが必要である事情について、家庭裁判所に予めご連絡いただいたうえで、事実上取引の交渉を開始し、取引が成立する一歩前の段階で申立てを行ってください。審判の審理には期間を要しますので、本取引日は、余裕を持って設定しておいてください」としています[2]

審理に期間を要することが、案内の中で明示されています。解約日を先に決めて逆算する進め方は、この局面では噛み合いません。管理会社としては、「許可が下りた日を起点に解約日を置く」という順序で家族・後見人と話を合わせておくほうが、後から日程を組み直さずに済みます。

残置物のモデル契約条項は施設入所の場面に使えるのか

使えません。ここも取り違えが起きやすい部分です。

国土交通省・法務省の「残置物の処理等に関するモデル契約条項」は、賃借人が亡くなったときに、相続人の有無や所在が分からないと賃貸借契約の終了と残置物の処理が困難になるという問題(残置物リスク)に対して用意された仕組みです[6]。解除関係事務委任契約も残置物関係事務委託契約も、委任者の死亡を起点に受任者が動く設計になっています。

したがって、本人が生きているまま施設に移る場面では、この枠組みは作動しません。モデル契約条項を締結済みの物件であっても、施設入所に伴う解約は、この記事でここまで見てきた代理・後見のルートで処理することになります。モデル契約条項そのものの中身は残置物はどう片付けるのか——「誰を受任者にできるか」から読む国交省モデル契約条項の実務で詳しく扱っています。

同じことは、連絡が取れなくなった入居者の居室にどう立ち入るかという場面にも言えます。安否確認の局面と、契約を終わらせる局面は、根拠になる書面が別です。前者については入居者と連絡が取れない:部屋に入れるのか、警察はいつ呼ぶのかにまとめています。

施設に移る前に決めておけること——通知先と、在宅の限界の見極め

ここまでは、連絡が来たあとの話でした。しかしこの局面の負担の大半は、事前に決めておけば軽くなる種類のものです。

第一に、在宅での生活がどこまで続けられそうかを、日常的に把握できているかどうかです。施設入所の連絡が突然入るのは、それまで部屋の中の様子が誰にも見えていなかったからです。入退院を挟んで生活が変わっていく過程が見えていれば、契約や住まいの相談を、本人がまだ判断できる段階で始められます。本人が判断できるうちに動けるかどうかが、後見の許可を待つ展開になるかどうかの分かれ目です。在宅の様子をどう把握するかから設計したい場合は、高齢入居者の生活の変化に気づく仕組みを、既存の物件でどう組めるか相談するところから始めると具体化しやすくなります。

第二に、誰に連絡が行く設定になっているかです。緊急連絡先が本人の携帯電話しか登録されていない、書かれている親族が20年前の住所のまま——という状態は、実際によくあります。施設入所や入院の連絡が管理会社に届くまでに日数がかかるのは、たいていここが原因です。緊急連絡先や身元保証の考え方については高齢者の賃貸入居と身元保証会社:連帯保証人との違いと、国のガイドラインで確認する6項目で整理しました。連絡先の登録だけでなく、誰が第一報を受け、誰が判断するのかまで含めて設計しておきたい場合は、通知先と、異変に気づいたあとの連絡順序をあわせて相談するのが早道です。

第三に、賃貸借契約書の写しをすぐ出せる状態にしておくことです。前章のとおり、後見人の申立てにはこれが要ります[2]

施設入所の前段として入院の連絡を受け、本人がまだ戻るつもりでいる段階の対応は高齢の入居者が長期入院したら——家賃・部屋の管理・退院後の暮らし方、オーナーが決めてよいこと・よくないことで扱っています。

まとめ:施設入所の連絡を受けたときに確認する順番

順序を整理します。

  1. 本人に判断能力が残っているかを確認する——残っていれば、本人の意思表示か、本人が有効に与えた代理権にもとづく委任状で進められます
  2. 判断できない状態なら、後見人等がついているかを聞く——法定後見か任意後見かで、確認する書面が変わります[1][4]
  3. 法定後見なら、居住用不動産処分許可の審判があるかまで確認する——賃貸借契約の解除は許可の要る処分で、許可なく行えば無効です[1]
  4. 「施設に入っているから居住用ではない」とは考えない——入所前に居住していた物件も居住用不動産に含まれます[1][2]
  5. 任意後見なら、監督人の選任と代理権の範囲を書面で見る——契約を結んでいるだけでは効力が生じていません[4]
  6. 解約日は許可が下りた日を起点に置く——審理には期間を要すると案内されています[2]
  7. 賃貸借契約書の写しを速やかに用意する——後見人の申立ての添付書類になります[2]
  8. 残置物のモデル契約条項は当てにしない——賃借人の死亡を起点とする仕組みで、この場面では作動しません[6]

この局面で貸す側が損をするのは、手続きが厳しいからではなく、手順を知らないまま急いだときです。解約日を先に決めて動き出し、あとから許可の話が出てきて日程を組み直す——という流れが、いちばん時間を失います。逆に、最初の電話の時点で「どの立場の人が、どの書面をもって申し入れているのか」を聞き分けられれば、その先の段取りは見通しが立ちます。

出典
  1. 居住用不動産の範囲(「現に住居として使用している場合に限らず、本人が現在は病院や施設に入所しているため居住していないが、将来居住する可能性がある場合、又は入所前に居住していた場合なども含みます」)、家庭裁判所の許可が必要であること、「家庭裁判所の許可を得ないで処分をした場合、その処分は無効となります」、「処分には、売却、抵当権の設定、賃貸借契約の締結・解除、建物取り壊し等があります」、申立人(成年後見人、保佐人、補助人。「ただし、保佐人及び補助人は不動産を処分する代理権が付与されている場合に限る。」)、申立先、申立手数料が収入印紙800円分であること、標準的な申立添付書類(処分の必要性を証する資料〈契約書(写し)等〉、処分する不動産の登記事項証明書等):裁判所「成年被後見人(被保佐人、被補助人)の居住用不動産の処分についての許可」。courts.go.jp(2026年9月6日確認)
  2. 居住用不動産の範囲(「本人の居住用不動産(現に居住していなくても,病院や施設等を出たときに居住用となる不動産も含みます。)を処分するには,裁判所の許可が必要です。裁判所の許可を経ずに行った契約は無効となります。」)、申立てのタイミング(「処分申立てが必要である事情について,家庭裁判所に予めご連絡いただいたうえで,事実上取引の交渉を開始し,取引が成立する一歩前の段階で申立てを行ってください。審判の審理には期間を要しますので,本取引日は,余裕を持って設定しておいてください。」)、賃貸借契約の解除で本人が借主の場合の添付書類(「解除の対象となる賃貸借契約書のコピー又はこれに準ずる書面」):大阪家庭裁判所「居住用不動産処分許可の申立てについて」。courts.go.jp(PDF)(2026年9月6日確認)
  3. 主な申立ての動機別件数・割合(預貯金等の管理・解約38,561件〈92.7%〉、身上保護30,599件〈73.5%〉、介護保険契約18,623件〈44.7%〉、不動産の処分14,990件〈36.0%〉、相続手続10,855件〈26.1%〉。終局事件総数41,620件。1件の終局事件について主な申立ての動機が複数ある場合があるため総数は終局事件総数と一致しないこと、割合は終局事件総数を母数としたものであること)、対象期間が令和6年1月から12月までの1年間であること:最高裁判所事務総局家庭局「成年後見関係事件の概況―令和6年1月~12月―」(令和7年〈2025年〉3月)。courts.go.jp(PDF)(2026年9月6日確認)
  4. 任意後見制度の仕組み(「本人が十分な判断能力を有する時に、あらかじめ、任意後見人となる方や将来その方に委任する事務の内容を公正証書による契約で定めておき」)、効力の発生時期(「任意後見契約は、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時から効力が生じます」)、任意後見人の職務(「任意後見人は、この時から、任意後見契約で委任された事務を本人に代わって行います」):法務省「Q16〜Q20「任意後見制度について」」(成年後見制度・成年後見登記制度Q&A)。moj.go.jp(2026年9月6日確認)
  5. 『賃貸住宅標準契約書』の公表と現行版が平成30年3月版であること、第11条(乙からの解約)第1項「乙は、甲に対して少なくとも30日前に解約の申入れを行うことにより、本契約を解約することができる。」:国土交通省「『賃貸住宅標準契約書』について」および同「賃貸住宅標準契約書(平成30年3月版・家賃債務保証業者型)」。mlit.go.jpmlit.go.jp(PDF)(2026年9月6日確認)
  6. 残置物の処理等に関するモデル契約条項が、賃借人の死亡時に相続人の有無や所在が分からないと賃貸借契約の終了と残置物の処理が困難になる「残置物リスク」に対応するものであること、解除関係事務委任契約・残置物関係事務委託契約・賃貸借契約特約条項記載例の書式構成:国土交通省「住宅:残置物の処理等に関するモデル契約条項」。mlit.go.jp(2026年9月6日確認)

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