入居者から手すりを付けたいと言われたら——介護保険の住宅改修と、オーナーの承諾書・退去時の原状回復

長く住んでいる高齢の入居者のケアマネジャーから、「トイレと玄関に手すりを付けたい。介護保険の住宅改修を使うので、所有者の承諾書に記入してほしい」と連絡が来た——この記事は、その書類を前にして「承諾してよいのか」「退去するとき壁の穴はどうなるのか」で手が止まっているオーナー・管理会社の方に向けて書いています。

先に結論を書くと、承諾書は介護保険の申請に添付が求められる書類で、承諾するかどうかはオーナーの判断です。そして、承諾の時点で「退去時に撤去するのか、残すのか」を決めて書面に残しておくと、後の争いを小さくできます。以下では、介護保険法・同施行規則・民法の条文と、厚生労働省・国土交通省・東京消防庁の資料にあたって順番に整理します。個別の契約の判断には、最終的に弁護士への確認が要ります。

介護保険の住宅改修は賃貸住宅でも使えるのか

使えます。介護保険法第45条第1項は、市町村は、居宅要介護被保険者が、手すりの取付けその他の厚生労働大臣が定める種類の住宅の改修を行ったときは、居宅介護住宅改修費を支給すると定めており、持ち家に限るとは書いていません[1]。支給額は、実際に改修に要した費用の9割に相当する額が基本です(同条第3項)[1]。要支援の人にも、同じ仕組みの介護予防住宅改修費があります(第57条)[1]

厚生労働省の資料は、制度設計の段階から借家を意識していたことを示しています。住宅改修費の給付の基本的な考え方として、持ち家の居住者と改修の自由度の低い借家の居住者との受益の均衡を考慮すれば、保険給付の対象は小規模なものとならざるを得ない、と整理されています(平成10年8月24日の審議会資料からの抜粋として、令和5年7月24日の社会保障審議会介護給付費分科会 資料7に掲載)[3]。つまり、賃貸住宅に住む高齢者も使う前提の、小さな工事のための制度です。

利用の規模も小さくありません。同じ資料によると、令和2年度の住宅改修費の費用額は約414億円、給付件数は43万3千件で、要介護2以下の人が給付件数の約8割を占めています(出典は介護保険事業状況報告年報)[3]。介護度が軽い段階で、転ばないための手すりを付ける使われ方が中心だと読めます。

住宅改修の対象になる工事は何か——手すり・段差・床材・扉・便器

対象は、厚生労働大臣が定める種類に限られています。厚生労働省の資料に示されている種類は次の6つです[3]

  1. 手すりの取付け
  2. 段差の解消
  3. 滑りの防止及び移動の円滑化等のための床又は通路面の材料の変更
  4. 引き戸等への扉の取替え
  5. 洋式便器等への便器の取替え
  6. その他前各号の住宅改修に付帯して必要となる住宅改修

支給限度基準額は生涯20万円(要支援・要介護の区分にかかわらず定額)で、保険給付は原則9割(上限18万円)、所得に応じて8割(上限16万円)・7割(上限14万円)です[3]。限度額の範囲内なら複数回に分けて申請でき、要介護状態区分が三段階上がったときと、転居したときには、再度20万円までの枠が設定されます[3]。賃貸の入居者が住み替えた先で改めて使える、ということでもあります。

オーナー側から見ると、頼まれるのは建物の構造を変えるような工事ではなく、壁に下地を入れて手すりを留める、敷居の段差をなくす、開き戸を引き戸にする、といった範囲の工事だと分かります。どこまでが対象になるかの細かな判断は、保険者である市町村が行います[1][2]

賃貸で住宅改修をするときにオーナーの承諾書はなぜ必要なのか

根拠は介護保険法施行規則第75条です。住宅改修費の支給を受けようとする人は、工事の前に、あらかじめ、改修の内容・箇所・規模と施工者、費用の見積り、ケアマネジャーなどが作成した「住宅改修が必要と認められる理由」の書類、改修後の予定の状態が確認できるもの、を提出しなければなりません(第1項第1号〜第4号)[2]。そのうえで第3項が、住宅改修を行った住宅の所有者が本人でない場合には、所有者が当該住宅改修について承諾したことが確認できる書類を添付しなければならないと定めています[2]

ここから読める実務上のポイントは3つです。

  • 承諾は工事の前に要る。第3項の承諾書類は、工事前に出す第1号〜第4号の申請書類に添付するものとされています[2]。やむを得ない事情があるときに工事後の提出を認める例外(第2項)はありますが、原則は事前です[2]
  • 承諾書が出なければ、入居者は住宅改修費の支給を受けられない。添付が要件になっているためです[2]。依頼が来たら、放置せずに可否を返すことが、入居者とケアマネジャーの計画を止めないことにつながります
  • 書式は自治体によって違う。たとえば相模原市のQ&Aは、市営住宅や賃貸物件の場合に、市のホームページに載せている賃貸借用の承諾書、または住宅所有者が発行する「模様替え承諾書」等、改修を許可する旨が記載された書類を求めています[6]。入居者側から様式が届いたら、それに記入するのが早道です

一方、賃貸借契約の側から見ると、国土交通省の賃貸住宅標準契約書(平成30年3月版)第8条第2項は、借主は、貸主の書面による承諾を得ることなく、本物件の増築、改築、移転、改造若しくは模様替…を行ってはならないとしています[5]。自社の契約書が標準契約書に沿っているなら、手すりの取付けも「書面による承諾」が要る行為として扱うのが自然です。介護保険の承諾書は、契約上の承諾を兼ねる書面にもなりうるので、次の節で見る退去時の扱いを、ここで一緒に決めておく意味があります。浴室や脱衣所の暖房を後付けしたいと相談されたときの扱いは賃貸の高齢入居者とヒートショック:浴室暖房の後付けと入浴中の事故の告知で整理しています。

手すりを付けると、退去時の原状回復はどうなるのか

何も決めずに承諾した場合、民法の原則はこうです。民法第622条は、使用貸借の第599条第1項・第2項を賃貸借に準用しており、借主は、借用物を受け取った後にこれに附属させた物がある場合において、契約が終了したときは、その附属させた物を収去する義務を負うとされます[4]。ただし、借用物から分離することができない物又は分離するのに過分の費用を要する物については、この限りでないというただし書きがあります[4]

さらに第621条は、賃借人が受け取った後に生じた損傷について、通常の使用及び収益によって生じた損耗並びに経年変化を除き、原状に復する義務を定めています[4]。手すりを外したあとのビス穴や下地の跡がこの「損傷」にあたるか、その費用を誰がどこまで負うかは、合意がなければ争いになりえます。原状回復の範囲の考え方は孤独死の原状回復費用は誰が負担する?特約と実務の整理でも扱いました。

費用の出どころにも注意が要ります。相模原市のQ&Aは、賃貸住宅の場合で、退去時に原状回復のための費用は住宅改修の対象にならないと答えています[6]。付けるときは保険給付の対象でも、外すときの費用は介護保険からは出ないという前提で考えておくのが安全です。取扱いは保険者(市町村)ごとに確認してください。

反対に、手すりを残してもらう場合にも論点があります。民法第608条第2項は、賃借人が賃借物について有益費を支出したときは、賃貸人は、賃貸借の終了の時に…その償還をしなければならないと定めています[4]。手すりが有益費にあたるかは個別の判断ですが、「残す代わりに費用の償還は求めない」のか、「撤去して返す」のかを、承諾の時点で書いておくと、退去のときに双方が迷わずに済みます。

共用部分(廊下・階段)に手すりを付けたいと言われたら

集合住宅では、専有部分の外を頼まれることもあります。相模原市のQ&Aは、賃貸アパート等の場合、住宅改修は一般的に本人の専用の居室内に限られるとしつつ、洗面所やトイレが共同になっているなど通常の生活領域と認められる特別な事情があれば、所有者の承諾を得て共用部分を改修することも可能で、支給対象になると答えています[6]

同じ回答には、住宅の所有者が恣意的に、高齢者に共用部分の住宅改修を強要する場合も想定されるため、理由書に書かれた身体状況や生活領域、希望等に応じて判断するという一文もあります[6]。共用部分の手すりはほかの入居者も使う設備なので、本来は建物側の設備として検討すべきものを、入居者の保険枠で付けてもらう形にしない、という線引きを持っておくと判断しやすくなります。空室対策として物件側で手すりを整える判断は空室対策の新常識:ターゲットを高齢者に広げる判断基準で整理しています。

高齢者の家庭内の事故はどこで起きているのか——東京消防庁の救急搬送データ

承諾するかを考える材料として、住宅の中でどんな事故が起きているかも見ておきます。東京消防庁「救急搬送データからみる日常生活の事故(令和6年)」によると、令和6年中に65歳以上の9万8,056人が日常生活の事故で救急搬送され、発生場所は住宅等居住場所が6割を占めています[7]75歳以上に限ると、住宅等居住場所の割合は約7割に上がります[7]

事故の種類では、「ころぶ」事故が段差や階段で多く発生しており、高齢者のころぶ事故の4割が中等症以上(入院を要する程度以上)と診断されています[7]。手すりの取付けや段差の解消は、まさにこの場面に向けた工事です。

ただ、手すりで減らせるのは「転ぶ回数」であって、ひとり暮らしの部屋で転んだあと、起き上がれずに誰にも気づかれない時間までは短くできません。そこは設備ではなく、暮らしの変化を外から拾う仕組みの領分です。手すりで転びにくくしたうえで、転んだあとに気づける仕組みをR65見守りで確かめると、住宅改修の承諾と一緒に入居者へ提案する材料になります。

承諾書に記入する前に確認しておきたい5項目

依頼を受けてから承諾書を返すまでに、オーナー・管理会社が確かめておくとよい項目を5つにまとめます。

  1. 工事の内容・箇所・施工者。申請書類に書かれる内容(第75条第1項第1号・第4号)と同じものを見せてもらい、図面や写真で位置を確認する[2]。構造や配管に関わる箇所がないか、施工者の連絡先も控える
  2. 専有部分か、共用部分か。共用部分なら、上の節のとおり他の入居者への影響と「建物側で整えるべきものか」を先に検討する[6]
  3. 退去時は撤去か、残置か。撤去なら費用の負担者と補修の範囲、残置なら有益費の償還を求めないこと、を承諾書または別紙の覚書に書く[4][5]。国土交通省の標準契約書に付いている「増改築等承諾書(例)」にも、承諾に当たっての確認事項を「なお、」の後に書く欄があり、例として「収去等についての事項」が挙がっています[5]。撤去費は介護保険の対象外になりうる前提で考える[6]
  4. 工事中・工事後の損傷の扱い。工事で建物を傷めた場合の連絡先と負担者を、施工者を含めて確認しておく
  5. 緊急連絡先と、転倒後に気づく手段。手すりが必要になったということは、暮らし方が変わり始めているサインでもあります。緊急連絡先が今も有効かをこの機会に確かめ、見守りを付けるなら本人の同意を取る。同意書に書く項目は賃貸に見守りを入れるときの同意の取り方:契約書と同意書に書く項目にまとめています。入居中から付けられる見守りの内容をR65見守りで見る

更新のタイミングで緊急連絡先や見守りの条件を見直す方法は高齢の入居者の契約更新でオーナーがやり直せること——法定更新・緊急連絡先・見守りの追加で扱っています。承諾書の依頼と更新時期が近ければ、まとめて話を進めると入居者の負担も少なくなります。

まとめ:住宅改修の承諾書を頼まれたとき、オーナーが決めること

  1. 介護保険の住宅改修は賃貸住宅でも使える。支給は費用の9割が基本で、要支援にも同じ仕組みがある[1]
  2. 対象は手すり・段差の解消・床材・引き戸・洋式便器とその付帯工事の6種類。枠は生涯20万円で、要介護状態区分の三段階上昇時と転居時に再設定される[3]
  3. 所有者の承諾書は、工事前の申請に添付が求められる書類(介護保険法施行規則第75条第3項)。出なければ入居者は支給を受けられない[2]
  4. 何も決めなければ、附属させた物の収去義務と原状回復義務の原則で考えることになる(民法第622条・第599条・第621条)。残す場合は有益費の償還(第608条第2項)の論点もある[4]
  5. 退去時の原状回復費用は、介護保険の住宅改修の対象にならないという自治体の回答がある(相模原市)[6]。撤去か残置かを承諾の時点で書面にする
  6. 65歳以上の日常生活事故の6割は住宅等居住場所で起き、75歳以上では約7割(東京消防庁・令和6年)[7]。手すりは転倒を減らす工事で、転んだあとに気づく仕組みは別に考える

承諾書の依頼は、面倒な書類仕事に見えて、実は入居者の暮らしが変わり始めたことをオーナーが最初に知る機会でもあります。退去時の扱いを決めて気持ちよく承諾し、あわせて連絡の経路と見守りを整えておくことが、高齢の入居者に長く住んでもらうための現実的な一歩になります。

出典
  1. 第45条第1項(市町村は、居宅要介護被保険者が手すりの取付けその他の厚生労働大臣が定める種類の住宅の改修を行ったときは居宅介護住宅改修費を支給すること)、同条第3項(支給額は住宅改修に要した費用の額の百分の九十に相当する額とすること)、第57条(介護予防住宅改修費の支給):デジタル庁「e-Gov法令検索 介護保険法(平成九年法律第百二十三号)」。条文は e-Gov 法令APIの全文XMLで確認。laws.e-gov.go.jp(2026年9月14日確認)
  2. 第75条第1項(住宅改修を行おうとするときは、あらかじめ第1号〜第4号の事項〈改修の内容・箇所・規模及び施工者、費用の見積り、介護支援専門員等が作成する必要と認められる理由を記載した書類、改修の予定の状態が確認できるもの〉を記載した申請書等を提出すること)、同条第2項(やむを得ない事情がある場合の工事完了後の提出)、同条第3項(住宅の所有者が被保険者でない場合には、所有者が当該住宅改修について承諾したことが確認できる書類を添付しなければならないこと):デジタル庁「e-Gov法令検索 介護保険法施行規則(平成十一年厚生省令第三十六号)」。条文は e-Gov 法令APIの全文XMLで確認。laws.e-gov.go.jp(2026年9月14日確認)
  3. 住宅改修の種類(6種類)、支給限度基準額が生涯20万円で要支援・要介護区分にかかわらず定額であること、保険給付は原則9割(上限18万円)・8割(上限16万円)・7割(上限14万円)であること、限度額の範囲内で複数回申請できること、要介護状態区分の三段階上昇時及び転居時に再度20万円までの支給限度基準額が設定されること、「持ち家の居住者と改修の自由度の低い借家の居住者との受益の均衡」を考慮した給付の基本的考え方(第14回医療保険福祉審議会老人保健福祉部会事務局提出資料〈平成10年8月24日〉からの抜粋)、提出書類に「住宅の所有者の承諾書(住宅改修した住宅の所有者が当該利用者でない場合)」が含まれること、令和2年度の住宅改修費の費用額が約414億円・給付件数43万3千件で要介護2以下が約8割であること(出典:介護保険事業状況報告年報):厚生労働省老健局「福祉用具・住宅改修」社会保障審議会介護給付費分科会(第220回)資料7(令和5年7月24日)。mhlw.go.jp(PDF)(2026年9月14日確認・PDF本文を全文抽出して逐語照合)
  4. 第599条第1項(借主は借用物に附属させた物を契約終了時に収去する義務を負うこと、及び分離できない物又は分離に過分の費用を要する物についてはこの限りでないとするただし書き)、同条第2項(附属させた物を収去することができること)、第608条第2項(賃借人が有益費を支出したときは賃貸人は賃貸借の終了の時に償還しなければならないこと)、第621条(賃借人の原状回復義務、通常の使用及び収益による損耗並びに経年変化を除くこと)、第622条(第599条第1項及び第2項等を賃貸借に準用すること):デジタル庁「e-Gov法令検索 民法(明治二十九年法律第八十九号)」。条文は e-Gov 法令APIの全文XMLで確認。laws.e-gov.go.jp(2026年9月14日確認)
  5. 第8条第2項(借主は貸主の書面による承諾を得ることなく本物件の増築、改築、移転、改造若しくは模様替又は敷地内における工作物の設置を行ってはならないこと)、第15条第1項(通常の使用に伴い生じた損耗及び経年変化を除き原状回復しなければならないこと)、(3)増改築等承諾書(例)(第8条第2項関係)の〔注〕5(承諾に当たっての確認事項等は「なお、」の後に記載すること、例として収去等についての事項):国土交通省「『賃貸住宅標準契約書』について」掲載の「賃貸住宅標準契約書 平成30年3月版・家賃債務保証業者型」(PDF本文を全文抽出して逐語照合)。掲載ページ:mlit.go.jp/PDF:001479824.pdf(2026年9月14日確認)
  6. 賃貸アパート共用部分の改修について(一般的に本人の専用の居室内に限られるが、通常の生活領域と認められる特別な事情があれば所有者の承諾を得て支給対象となること、及び所有者が恣意的に共用部分の改修を強要する場合も想定されるため理由書の身体状況・生活領域・希望等に応じて判断すること)、賃貸物件等の場合の承諾書(市ホームページ掲載の賃貸借用の承諾書、又は住宅所有者が発行する「模様替え承諾書」等)、賃貸住宅の退去時の原状回復のための費用は住宅改修の対象にならないこと:相模原市「介護保険 住宅改修のQ&A」令和6年4月改定版。city.sagamihara.kanagawa.jp(PDF)(2026年9月14日確認・PDF本文を全文抽出して逐語照合)
  7. 令和6年中に65歳以上の9万8,056人が救急搬送されたこと、発生場所は住宅等居住場所での事故が6割を占めること、「ころぶ」事故は段差や階段で多く発生していること、高齢者のころぶ事故の4割が中等症以上と診断されていること、後期高齢者(75歳以上)では住宅等居住場所での割合が約7割を占めること:東京消防庁「救急搬送データからみる日常生活の事故(令和6年)」第3部 年齢から見た事故。tfd.metro.tokyo.lg.jp(2026年9月14日確認・第3部PDF本文を全文抽出して逐語照合)

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