ひとり暮らしの高齢の入居者から、あるいはご家族やケアマネジャーから、「ヘルパーさんが入れるように玄関の近くにキーボックスを付けてもいいですか」「合鍵をもう1本作って、事業所に預けたい」と相談される。本人が玄関まで出てこられない日が増え、訪問のたびに鍵を開けるのが難しくなってきた、というのがよくある背景です。
先に整理しておくと、国土交通省の賃貸住宅標準契約書には、ヘルパーが部屋に出入りすること自体を承諾や通知の対象にした条項はありません。オーナーが判断を求められるのは「どこに、どうやって付けるか」と「鍵が何本あり、誰の手にあるか」です。この記事では、標準契約書と民法の条文から承諾が関わる範囲を確かめ、承諾する前に決めておきたいことを順に並べます。
訪問介護を受けながら自宅で暮らす高齢者はどれくらいいるのか
厚生労働省「令和6年度 介護給付費等実態統計の概況」によると、令和6年4月から令和7年3月までの1年間に一度でも訪問介護を受けた人(年間実受給者数・介護サービス)は1,612.7千人で、前年度より20.3千人(1.3%)増えました[3]。同じ期間の訪問看護は1,048.7千人で、前年度より6.1%増えています[3]。
この統計は住まいの種類を区別していないので、このうち賃貸住宅に住む人が何人かは分かりません。それでも、自宅に専門職が定期的に通ってくる暮らし方が特別なものではないことは読み取れます。訪問のたびに誰が玄関を開けるのかという相談は、入居者が高齢になるにつれて、どの物件でも起こりうるものです。
賃貸でキーボックスを付けるのに、オーナーの承諾は要るのか
標準契約書(平成30年3月版)で、キーボックスの設置に関わりうる条項は2つあります[2]。
- 第8条第2項——借主は、貸主の書面による承諾を得ることなく、本物件の増築、改築、移転、改造若しくは模様替又は敷地内における工作物の設置を行ってはならない
- 第8条第4項と別表第2第一号——借主は、貸主の書面による承諾を得ることなく、階段、廊下等の共用部分に物品を置くことをしてはならない
キーボックスには、壁や扉にビスで留める固定型と、ドアノブ・手すり・配管などに掛けて使う吊り下げ型があります。ビスで建物に固定するなら第8条第2項の模様替や工作物の設置に当たるか、共用廊下の手すりやメーターボックスに掛けるなら別表第2第一号の「共用部分に物品を置くこと」に当たるかが、個別に判断するところです。どちらに当たる場合でも、書面で承諾しておけば、あとで「勝手に付けた」「承諾した覚えはない」という食い違いが起きにくくなります。
ビスで固定したキーボックスは、借主が部屋に附属させた物として、契約終了時の収去(民法第622条が準用する第599条第1項)や原状回復(第621条)の話につながりえます[1]。撤去するのか残すのかを承諾のときに書いておく考え方は、介護保険の住宅改修で手すりを付ける場合と同じです。標準契約書の増改築等承諾書(例)の「なお、」欄の使い方は入居者から手すりを付けたいと言われたら——介護保険の住宅改修と、オーナーの承諾書・退去時の原状回復で扱っています。共用部分に掛ける場合に使える様式として、同じ標準契約書には「別表第2に掲げる行為の実施承諾書(例)」(第8条第4項関係)も付いており、行為の内容を具体的に書く欄と、承諾に当たっての確認事項を「なお、」の後に書く欄があります[2]。暗証番号を知る人の範囲や、退去時に取り外すことも、この欄に書いておけます。
自社の契約書が標準契約書と違う書式の場合は、禁止・制限事項や共用部分の使い方を定めた条項を同じように確認してください。分譲マンションの一室を貸している場合は、共用部分の扱いを管理組合の規約が定めていることもあります。
ヘルパーや訪問看護師の出入りは、賃貸借契約の上で問題になるのか
標準契約書で借主が貸主の書面による承諾を要するのは、第8条第1項の賃借権の譲渡・転貸と、第2項・第4項の行為です。通知を要するのは、別表第3の「同居人に新たな同居人を追加すること」と「1か月以上継続して本物件を留守にすること」の2つです[2]。来訪者の出入りは、どの項目にも挙がっていません。
民法は、借主が契約や目的物の性質によって定まった用法に従って使用・収益をしなければならないと定めています(第616条が準用する第594条第1項)[1]。住まいとして借りた部屋で本人が契約した介護サービスを受けることを、この用法から外れると読める条項は、標準契約書には見当たりません。
したがって、オーナーが決めるのは「ヘルパーを入れてよいか」ではありません。本人がどの事業者と契約するかは、本人と事業者のあいだで決まることです。オーナーが関わるのは、建物に何をどう付けるかと、鍵の本数・所在の管理です。
キーボックスと合鍵の預け先、どちらを選ぶのか
ヘルパーが出入りするための方法は、大きく3つに分かれます。
- キーボックスに鍵を入れ、暗証番号を関係者で共有する。複数の事業者や家族が出入りする場合に使われます。暗証番号を知る人が増えるほど、誰が開けられるのかを把握しにくくなります
- 訪問介護事業所などに合鍵を預ける。鍵を持つ人は事業所に限られますが、合鍵が1本増えます
- 自治体の緊急通報システムの協力員や委託事業者に鍵を預ける。たとえば大阪府豊中市の緊急通報システムは、合鍵を預かる近隣の協力員の登録を求めたうえで、協力員が見つからない場合は委託事業者の鍵預かりもしくはキーボックス情報の提供でも可能としています[5]。これは緊急時の駆けつけのための仕組みで、日常のヘルパーの出入りのためのものではありません
自治体の緊急通報システムの対象要件や費用の違いは高齢入居者の見守りの費用は誰が負担するのか:自治体の緊急通報システムの要件と、使えない場合の選択肢で比べています。
事業者の側には、指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準(平成11年厚生省令第37号)で、従業者は正当な理由がなく業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らしてはならないこと(第33条第1項)、サービスの提供により賠償すべき事故が発生した場合は損害賠償を速やかに行わなければならないこと(第37条第3項)が定められています[4]。一方で、同基準に利用者の鍵の預かり方を直接定めた条文はありません[4]。預かり方の手順は事業所ごとに違うので、鍵をどう保管し、紛失したときに誰に連絡するのかを、本人またはケアマネジャーを通じて確認しておくとよいでしょう。
合鍵を作ったら、退去時の鍵交換の費用は誰が負担するのか
標準契約書の頭書(1)には、設備等として鍵の有無と、鍵番号と貸出本数をカッコの中に書く欄(様式上は「鍵 No. ・ 本」)があります[2]。ヘルパーのために合鍵を作ると、契約時に渡した本数と実際の本数がずれていきます。承諾するときに何本作り、誰が持っているかを書面に残しておくと、退去時の返却の確認に使えます。
鍵の交換費用について、標準契約書の別表第5は原状回復の負担区分の例として、「鍵の取替え(破損、鍵紛失のない場合)」を貸主の負担に、「鍵の紛失又は破損による取替え」を借主の負担に挙げています[2]。預けた合鍵がすべて返ってくれば前者の話で済みますが、所在の分からない合鍵が残ったまま退去となると、後者の「紛失」として扱うかどうかが話し合いの論点になります。本数と預け先の記録そのものが、退去時の話し合いの材料になります。
キーボックスがあっても、訪問のない時間の異変には気づけない
キーボックスが解決するのは、決まった時間に来る人が中に入れることです。ヘルパーの訪問が週に数回であれば、訪問と訪問のあいだに部屋の中で倒れていても、次の訪問まで誰も気づかない時間が残ります。
もうひとつ、キーボックスの鍵は管理する側が自由に使ってよい鍵ではありません。オーナーや管理会社が暗証番号を知っていても、立入りの原則は変わりません。標準契約書第16条は、管理上特に必要があるときにあらかじめ乙の承諾を得て立ち入るのを原則とし、承諾なしに立ち入れるのは火災による延焼を防止する必要がある場合その他の緊急の必要がある場合としています(第4項)[2]。連絡が取れないときの判断の順序は入居者と連絡が取れない:部屋に入れるのか、警察はいつ呼ぶのかにまとめています。
訪問のない時間の変化に外から気づく方法を足しておくと、キーボックスは「気づいた人が入るための手段」として役割がはっきりします。訪問のない時間の異変に気づく見守りの仕組みを見る
キーボックスの設置を承諾する前に確かめておきたい6項目
- 付ける場所は専有部分か、共用部分か。共用廊下の手すり・配管・メーターボックスなら別表第2第一号の承諾として扱う。分譲マンションの一室なら管理規約も確認する[2]
- 固定の方法。ビス留めか、掛けるだけか。ビス留めなら第8条第2項の書面承諾として扱い、退去時に撤去するか残すかを書いておく[2]
- 暗証番号を知っている人の範囲と、番号を変える時期。事業者や担当者が替わったときに番号を変えるのかを、本人・ケアマネジャーと決めておく。オーナーや管理会社が番号を知っておく必要があるかも、あわせて決める
- 合鍵の本数と、持っている人。頭書(1)の鍵番号・本数の欄と照らせるように記録し、退去時にすべて返却してもらう[2]
- 鍵を預かる事業所の保管方法と、紛失時の連絡先。事業所の手順を本人・ケアマネジャーを通じて確認する[4]
- 緊急連絡先と、訪問のない時間に異変に気づく手段。見守りを付けるなら本人の同意を取り、同意書に書く項目は賃貸に見守りを入れるときの同意の取り方:契約書と同意書に書く項目で扱っています。オーナー・管理会社の側で導入できる仕組みとしては賃貸オーナー向けの見守りサービスを確認するもあります
まとめ:キーボックスを付けたいと言われたとき、オーナーが決めること
- ヘルパーの出入りそのものは、標準契約書の承諾・通知事項に挙がっていない。事業者を選ぶのは本人[2]
- 承諾が関わるのは「付け方」と「付ける場所」。ビス留めは第8条第2項、共用部分に置くなら別表第2第一号に当たるかを見る[2]
- ビスで付けた物は、退去時の収去・原状回復の話につながる。撤去か残置かを承諾時に書いておく(民法第599条第1項・第621条・第622条)[1]
- 合鍵は本数と持ち主を記録する。別表第5は「鍵の紛失又は破損による取替え」を借主負担の例に挙げている[2]
- 訪問介護の年間実受給者数は1,612.7千人(令和6年度・介護サービス)。自宅に専門職が通う暮らしは珍しいものではない[3]
- 暗証番号を知っていても、立入りの原則は変わらない。承諾なしに立ち入れるのは緊急の必要がある場合(標準契約書第16条第4項)[2]
キーボックスの相談は、入居者の暮らしが「自分で玄関を開ける」段階から一歩進んだという知らせでもあります。付け方と鍵の本数を書面にしておけば、承諾そのものは難しい判断ではありません。あわせて、訪問のない時間をどう見守るかを、本人やご家族と話すきっかけにしてください。
- 第594条第1項(借主は契約又はその目的物の性質によって定まった用法に従い使用及び収益をしなければならないこと)、第599条第1項(借主は借用物を受け取った後に附属させた物を契約終了時に収去する義務を負うこと)、第616条(第594条第1項の賃貸借への準用)、第621条(賃借人の原状回復義務)、第622条(第599条第1項及び第2項の賃貸借への準用):デジタル庁「e-Gov法令検索 民法(明治二十九年法律第八十九号)」。条文は e-Gov 法令APIの全文XMLで確認。laws.e-gov.go.jp(2026年9月16日確認)
- 頭書(1)設備等の鍵の欄(記載要領「鍵番号と貸出本数をカッコの中に記入してください」)、第8条第1項・第2項・第4項・第5項(禁止又は制限される行為)、別表第2第一号(階段、廊下等の共用部分に物品を置くこと)、別表第3(同居人の追加・1か月以上の留守)、第16条第1項・第4項(立入り)、別表第5の負担区分の例(「鍵の取替え(破損、鍵紛失のない場合)」「鍵の紛失又は破損による取替え」)、増改築等承諾書(例)注5(「なお、」欄に収去等についての事項を記載する例)、別表第2に掲げる行為の実施承諾書(例)(第8条第4項関係)の〔注〕4・5:国土交通省「『賃貸住宅標準契約書』について」掲載の「賃貸住宅標準契約書 平成30年3月版・家賃債務保証業者型」。mlit.go.jp(PDF)(掲載ページ:mlit.go.jp・2026年9月16日確認・PDF本文を全文抽出して逐語照合)
- 令和6年度(令和6年4月〜令和7年3月)の介護サービスの年間実受給者数(総数5,731.1千人、訪問介護1,612.7千人・前年度1,592.4千人から20.3千人(1.3%)増、訪問看護1,048.7千人・前年度比6.1%増):厚生労働省「令和6年度 介護給付費等実態統計の概況」結果の概要 1 受給者の状況(サービス種類別にみた受給者数・介護サービス)。mhlw.go.jp(PDF)(概況の目次:mhlw.go.jp・2026年9月16日確認・PDF本文を全文抽出して逐語照合)
- 第33条第1項(指定訪問介護事業所の従業者は正当な理由がなく業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らしてはならないこと)、第37条第3項(指定訪問介護の提供により賠償すべき事故が発生した場合は損害賠償を速やかに行わなければならないこと)。同基準の全文に利用者の鍵の預かりを定めた規定が無いことも全文XMLで確認:デジタル庁「e-Gov法令検索 指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準(平成十一年厚生省令第三十七号)」。laws.e-gov.go.jp(2026年9月16日確認)
- 緊急通報システムの利用にあたり合鍵を預かる協力員(1人もしくは2人)の登録が必要で、協力員が見つからない場合は委託事業者の鍵預かりもしくはキーボックス情報の提供でも可能であること:豊中市「緊急通報システム ホットライン『きずな』」。city.toyonaka.osaka.jp(2026年9月16日確認)
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